宗像関連古文書・史料
文書群名 |
八巻文書第7巻 |
文書番号 |
178 |
文書名 |
武富咸亮・英亮連署書状 |
和暦 |
(宝永七年)六月十九日
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西暦 |
1710年 6月 19日 |
本文 |
追啓。貴公御安全、幸甚々々。前書如申進候、弥被加御養補、御長寿奉希候。一郎右衛門事、此六七年以来眼病〈ニ而〉読不自由、荒廃之体御察可被下候。夫〈ニ〉付賢友之輔希申、弥増御床敷奉存候。以上。 遠方態預御使札、致拝閲候。霖雨倍例年湿中、久霽而炎署酷候処、益徳門御康寧之由被示聞、 欣挊〔抃カ〕不過之奉存候。下拙挙家如常。 一、董其昌梅花法帖〈一巻〉被寄附孔廟致奉納候。尤法帖之巻尾〈ニ〉筑州福岡貝原篤信鴻儒寄附之趣書載仕、伝無疆也。他人奉納之書等皆如此仕候也。又博多練酒〈一樽〉・博多索麺〈一捲〉・鐘崎熨斗蚫〈二把〉荷芳恵、皆名物之賜辱致拝受候。御慇懃之至奉存候。 一、仰蒙自後醍醐帝之御綸旨如旧所奉納于宗像神社殿度之旨、自是も御同意奉存、可任仰段申進候処、弥御望之段被仰越、今度右御綸旨一巻、箱〈ニ〉入、以蘧使致送進候。御受納可被成候。 右〈ニ〉付而御紙上御念入候儀、奉存候。 一、貴公十年已前ゟ御隠居之由益可為御安静事、珍重々々。御閑居之読書弥徳崇業広、其御楽奉察、羨望不少候。華洛堂上・地下之賢輩帰泉多、其外御同志稀少之御憾御尤之御事候。如来喩昔年屡得芳意。厥后打絶、纔以隔境無□〔得〕示教、薄志不鮮奉存候。尚期後音候。頓首。 武富治平 英亮(花押) 六月十九日 武富一郎右衛門 咸亮(花押) 貝原久兵衛様 貴□〔答〕 |
読み下し |
追啓す。貴公御安全、幸甚々々。前書に申し進め候如く、弥御養補を加へられ、御長寿を希ひ奉り候。一郎右衛門の事、此の六七年以来眼病〈にて〉書読不自由、荒廃の体を御察し下さるべく候。夫〈に〉付け賢友の輔を希ひ申し、弥増に御床数く存じ奉り候。以上。 遠方態御使札に預かり、拝閲致し候。霖雨例年に倍り湿中、久しく霽れて炎暑酷く候処、益徳門御康寧の由示し聞かせられ、欣抃これに過ぎず存じ奉り候。下拙は挙家常の如し。 一、董其昌の梅花法帖〈一巻〉孔廟に寄附せられ奉納致し候。尤も法帖の巻尾〈に〉筑州福岡貝原篤信鴻儒寄附の趣を書載仕り、無疆に伝ふるなり。他人奉納の書等皆此の如く仕り候なり。又博多練酒〈一樽〉・博多索麺〈一捲〉・鐘崎熨斗蚫〈二把〉芳恵を荷す、皆名物の賜辱く拝受致し候。御慇懃の至りに存じ奉り候。 一、仰せ蒙る後醍醐帝よりの御綸旨旧の如く宗像神社殿に奉納したき所の旨、是よりも御同意存じ奉り、仰せに任すべき段申し進め候処、弥御望の段仰せ越され、今度右御綸旨一巻、箱〈に〉入れ、蘧使を以て送進致し候。御受納成さるべく候。 右〈に〉付きて御紙上御念入り候儀、存じ奉り候。 一、貴公十年已前より御隠居の由益御安静たるべき事、珍重々々。御閑居の読書弥徳崇く業広く、其の御楽を察し奉り、羨望少なからず候。華洛の堂上・地下の賢輩帰泉多く、其の外御同志稀少の御憾み御尤もの御事に候。来喩の如く昔年屡芳意を得。厥后は打ち絶え、纔かに隔境を以て示教を得ることなく、薄志鮮からず存じ奉り候。尚ほ後音を期し候。頓首。 武富治平 英亮(花押) (宝永七年)六月十九日 武富一郎右衛門 咸亮(花押) 貝原久兵衛(益軒)様 貴答 |
大意 |
武富咸亮・英亮父子、貝原益軒に書を送り、後醍醐天皇綸旨返還の礼として董其昌の法帖を受納し、それを多久聖廟に奉納した由などを記す。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
19.2cm |
寸法(横) |
95.2cm |
備考 |
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出典 |
『宗像大社文書』第1巻 |
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