宗像関連古文書・史料
文書群名 |
八巻文書第5巻 |
文書番号 |
132 |
文書名 |
勝林院良雄書状 |
和暦 |
(応永十三年)六月二十日
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西暦 |
1409年 6月 20日 |
本文 |
若宮庄事、先立自探題雖被申子細候、自故上総入道之時、既及三代被仰付候上者、無不忠不法之儀者、無左右不可有転変候。愛若丸事者、一途可有計沙汰候由、被仰候。抑半済給人入部候由、被注進申迷惑候。惣而於彼門跡領者、諸国之所々悉被止半済之議〔儀〕候。取別此若宮領事者、依御敬信、被止守護・地頭之〓候。九州半済事。探題拝領之由、其沙汰候。雖然於此門跡并若宮領事者、不可被准自余候間、無左右半済給人なと入部候者無勿躰候。此子細可被伺申候歟。其間者地下をハ堅可被相支候。古物・金生以下不伺申本所、自由押持候条、是又狼藉之至候。今度者御左右まてハ、地下をハいつれも堅被支置候て、可被任公方之御成敗候也。凡注進遅々条、無勿躰候。何様御左右間、地下事者、無為候様、可被支置候。恐々謹言。 壬六月廿日 (花押) |
読み下し |
(筑前国鞍手郡)若宮庄の事。先立つて探題(渋川満頼)より子細を申され候と雖も、故上総入道の時より、既に三代に及び仰せ付られ候の上は、不忠不法の儀なくんば、左右なく転変あるべからず候。愛若丸の事は、一途に計沙汰あるべく候の由、仰られ候。抑半済給人入部候の由、注進申され迷惑候。惣じて彼の門跡(醍醐寺三宝院)領においては、諸国の所々悉く半済の儀を止められ候。取り別け此の若宮領の事は、御敬信に依り、守護・地頭の〓を止められ候。九州半済の事。探題拝領の由、其の沙汰候。然りと雖も、此の門跡并びに若宮領の事においては、自余に准ぜらるべからず候の間、左右なく半済給人など入部候はば勿躰なく候。此の子細伺ひ申さるべく候か。其の間は地下をバ堅く相支へらるべく候。(鞍手郡)古物・(鞍手郡)金生以下本所に伺ひ申さず、自由に押へ持ち候条、是れ又狼藉の至りに候。今度は御左右までハ、地下をバいつれも堅く支へ置かれ候て、公方の御成敗に任せられ候べきなり。凡そ注進遅々の条、勿躰なく候。何様御左右の間、地下の事は、無為に候様、支へ置かるべく候。恐々謹言。 (応永十三年)壬六月廿日 (花押) |
大意 |
醍醐寺三宝院、若宮庄への半済給人の入部を停止させる。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
31.6cm |
寸法(横) |
88.8cm |
備考 |
二紙継ぎで、横は第一紙が44.1cm、第二紙が44.7cm。〓は「糸偏に寄(=綺)」。
正誤表により、文書名を「大原某書状」から「勝林院良雄書状」に変更。 |
出典 |
『宗像大社文書』第1巻 |
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