世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 今川了俊書下/
文書群名 八巻文書第4巻
文書番号 102
文書名 今川了俊書下
和暦 至徳二年五月六日
西暦 1385年 5月 6日
本文 宗像大宮司氏頼申壱岐国薬師丸地頭職事。数ヶ度被仰処、浜田安芸守及押妨狼籍〔藉〕〈云々〉。太不可然。好而招其咎歟。所詮、使節相共、任法可被沙汰付下地於氏頼代之状如件。
  至徳二年五月六日   沙弥(花押)
   志佐壱岐守殿
読み下し 宗像大宮司氏頼申す壱岐国(石田郡)薬師丸地頭職の事。数ヶ度仰せらるるの処、浜田安芸守押妨狼藉に及ぶと〈云々〉。太だ然るべからず。好みて其の咎を招くか。所詮、使節と相共に、法に任せて下地お氏頼代に沙汰し付けらるべきの状件の如し。
  至徳二年五月六日   沙弥(今川貞世・了俊)(花押)
   志佐壱岐守(調)殿
大意 今川了俊、志佐調に命じて、使節と共に、宗像大宮司氏頼が訴えた壱岐国薬師丸地頭職を氏頼代に渡付させる。
紙質 楮紙
寸法(縦) 29.6cm
寸法(横) 39.7cm
備考
出典 『宗像大社文書』第1巻