宗像関連古文書・史料
文書群名 |
八巻文書第4巻 |
文書番号 |
91 |
文書名 |
朝町禅恵軍忠状 |
和暦 |
暦応元年十二月 日
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西暦 |
1338年 12月 |
本文 |
筑前国御家人朝町孫太郎入道禅恵謹言上。 去十月、於菊池薭方原合戦時、中間太郎男被疵〈左肩股〉、同十一月三日八代黒鳥合戦時、子息彦太郎光世被疵〈肩先〉、同中間次郎男〈射 疵/高モモ〉、遂実検畢。然帰国後光世令死去上者、欲預御判子細事 右、□□青木掃部助見知之間、立申証人畢。然帰国之後、依此疵、去月十一日死去上者、早為預御判、粗言上如件。 暦応元年十二月 日 (証判)「承了、 太〔大〕宰少弐(花押)」 |
読み下し |
筑前国御家人朝町孫太郎入道禅恵謹みて言上す。 去ぬる十月、(肥後国菊池郡)菊池の薭方原における合戦の時、中間太郎男疵をこうむり〈左肩股〉、同十一月三日(肥後国八代郡)八代の黒鳥の合戦の時、子息の彦太郎光世疵をこうむり〈肩先〉、同中間次郎男〈射 疵/高モモ〉、実検を遂げ畢んぬ。然るに帰国する後光世死去せしむる上は、御判に預からんと欲する子細の事 右、□□青木掃部助見知するの間、証人を立て申し畢んぬ。然るに帰国の後、此の疵により、去ぬる月十一日死去する上は、早く御判に預らんがため、粗言上件の如し。 暦応元年十二月 日 (証判)「承り了んぬ。 大宰少弐(頼尚)(花押)」 |
大意 |
筑前国御家人朝町禅恵が肥後国各地での軍功を注進して、少弐頼尚の証判を賜わった。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
31.3cm |
寸法(横) |
38cm |
備考 |
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出典 |
『宗像大社文書』第1巻 |
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