世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 沙弥浄恵〈宗像氏業〉請文案/
  • 沙弥浄恵〈宗像氏業〉請文案/
文書群名 八巻文書第3巻
文書番号 60
文書名 沙弥浄恵〈宗像氏業〉請文案
和暦 文永五年七月三日
西暦 1268年 7月 3日
本文 被尋仰下候氏重後家尼・同子息氏村・氏遠等所帯張氏承久三年五月日土穴・須恵・稲本譲状事、為謀書之条顕然候、其故者、氏重企夜討、擬令殺害一腹舍弟兵藤三郎候事等、露顕之間、為母張氏被義絶候了。而不孝事、給 関東御教書下向之刻、張氏所労危急不弁前後候之時、御教書之裏〈ニ〉、不孝者ゆるし候ぬ、所知もたひ候ぬと、あねにて候ものに、かんなにかゝせ候て、判をくわへさせ候はんとし候けるに、またくゆるすましきよし申候て、夭亡之後、母の手〈ニ〉黒〔墨カ〕〈於〉塗〈テ〉押させて候。被召出て御覧之時、無其隠候歟。而又称譲状構持謀書候也。不孝之免状不加判形死去之後、所構出之状、謀書顕然候之由、稲本三郎氏範〈氏重甥、〉語申候之間、将軍御在京之時、去嘉禎年中之比、浄恵致越訴候之刻、氏重申云、就譲状給安堵御下文之上、被召決浄恵〈于時俗本名氏有、〉之後、又蒙御裁許之旨、雖令支申候、件譲状事、年来不知及、謀書之巨細未申達候故也。早可被召決之旨、令訴申候之間、仰守護人大宰少弐〈于時豊前前司、〉遂対決候了。爰御教書裏書状与氏範申詞、聊雖有文字之相違、其意趣相同之間、氏重敢無陳方。加之、免不孝之由〈乃〉裏書之状者、承久三年七月六日也。号譲状者、同年五月日也。不免義絶之以前争可譲所領哉。前後相違候了。就中三ヶ所者氏高・氏房寄進神所之地也。張氏夫氏忠者、氏高六代之末孫也。根本之神領也。又非売買之地候、而張氏与氏忠両人〈志天〉、所買得為眼前之由、載彼五月日状乎。状文之紕繆者、謀書露顕之実証也。如此之子細申載問注記之日、雖無指陳方、氏重憗〔憖〕乍加判形、彼記清書之後、為遁当時之罪科、逃下鎮西之上、浄恵又抱大訴候之間、不致其沙汰候。件問注之次第、武藤六郎兵衛入道覚然依承及候、尋申候之時、任実正遣返状候了。所詮候、若猶相貽御不審候者、被召出彼記、有御披見無其隠候歟。以此旨可有御披露候。恐惶謹言。
  文永五年七月三日   沙弥浄恵〈請文〉
読み下し 尋ね仰せ下され候氏重後家尼・同子息氏村・氏遠等所帯の張氏承久三年五月日土穴・須恵・稲本譲状の事、謀書たるの条顕然に候、其の故は、氏重夜討を企て、一腹の舎弟兵藤三郎(氏市)を殺害せしめんと擬し候事等、露顕の間、母張氏のため
に義絶せられ候ひ了んぬ。而るに不孝の事、 関東御教書を給はり下向の刻、張氏の所労危急前後を弁ぜず候の時、御教書の裏ニ、不孝者ゆるし候ぬ、所知もたび候ぬと、あね(姉)にて候ものに、かんな(仮名)にかかせ候て、判をくわ(加)へさせ候はんとし候けるに、またくゆるすまじきよし申し候て、夭亡の後、母の手ニ墨お塗テ押させて候。召出されて御覧の時、其の隠れ無く候か。而るに又譲状と称し謀書を構へ持し候なり。不孝の免状に判形を加へず死去の後、構へ出す所の状、謀書顕然に候の由、稲本三郎氏範〈氏重の甥、〉語り申し候の間、将軍御在京の時、去る嘉禎年中の比、浄恵越訴を致し候の刻、氏重申して云く、譲状に就いて安堵の御下文を給ふの上、浄恵〈時に俗本名氏有、〉を召し決せらるるの後、又御裁許を蒙るの旨、支へ申せしめ候と雖も、件の譲状の事、年来知り及ばず、謀書の巨細未だ申し達せず候故なり。早く召し決せらるべきの旨、訴へ申せしめ候の間、守護人大宰少弐(資能)〈時に豊前前司、〉に仰せ対決を遂げ候ひ了んぬ。爰に御教書裏書の状氏範の申す詞と、聊か文字の相違ありと雖も、其の意趣相同じの間、氏重敢て陳ずる方無し。しかのみならず、不孝を免るるの由の裏書の状は、承久三年七月六日なり。譲状と号するは、同年五月日なり。義絶を免がれざるの以前争か所領を譲るべけんや。前後相違候了んぬ。なかんずく三ヶ所は氏高・氏房神所に寄進するの地なり。張氏の夫氏忠は、氏高六代の末孫なり。根本の神領なり。又売買の地に非ず候、而るに張氏氏忠と両人して、買得する所眼前たるの由、彼の五月日の状に載するか。状文の紕繆は、謀書露顕の実証なり。此の如きの子細問注記に申し載するの日、指せる陳ずる方無しと雖も、氏重憖に判形を加へ乍ら、彼の記を清書の後、当時の罪科を遁れんがため、鎮西に逃れ下るの上、浄恵又大訴を抱き候の間、其の沙汰を致さず候。件の問注の次第、武藤六郎兵衛入道覚然承はり及び候に依り、尋ね申し候の時、実正に任せ返状を遺し候ひ了んぬ。所詮候、若し猶御不審を相貽し候はば、彼の記を召し出され、御披見あらば其の隠れ無く候か。此の旨を以て御披露あるべく候。恐惶謹言。
  文永五年七月三日   沙弥浄恵(宗像氏業)〈請文〉
大意 文永五年(一二六八)六月二十七日、鎌倉幕府、前大宮司宗像六郎入道浄恵(氏業)に対し、前大宮司氏重後家尼等所帯の承久三年五月日の宗像郡土穴・須恵・稲本三箇村の譲状の真偽を問う。ついで、七月三日、浄恵、同譲状は謀書である旨、幕府に請文を捧げる。
紙質 楮紙
寸法(縦) 29.6cm
寸法(横) 106.3cm
備考 横の長さは59号文書と一具としての数値。
出典 『宗像大社文書』第1巻