世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 津守三子解/
文書群名 八巻文書第3巻
文書番号 53
文書名 津守三子解
和暦 承安五年四月二日
西暦 1175年 4月 2日
本文  (外題)「所申有其謂者、如本可令領掌之
           大宰〔宮カ〕司宗形(花押)」
上八村住人故工武元妻津守氏三子解申請 宮裁事
 請被特蒙 鴻恩、且任相伝領掌理、且依解状旨、如本可領掌由裁定、上八村内字柳坪内弐段、字井手副薗早田陸拾歩、同畠地一所、為甥故宗三郎大宮司近弘、以去年春被割取子細愁状、
右、謹検案内、件田畠者、三子親父故礼介時任之所領也。而彼時任〈か〉子息者娘三人也。其内於大娘者、時任存生之時死去畢。次中娘父死去之後、不経幾程死去又畢。於三子者、母共存残之間、無他妨、任相伝旨、領作来之処、母又死去之後、依無他子無相別。併令領掌之間、不慮外彼宗三郎近弘、以為故中子之息男旨、可領掌之由、雖致時時沙汰、依無其理、更不蒙裁許之処、不図去春之比、件両坪畠地一所別給条、伊欝多端之間、適、件近弘以去年十一月之比、死去已畢者、三子之外、可誰人領掌哉。望請 恩裁、任道理為被裁断、勒在状言上如件。以解。
  承安五年四月二日   津守三子〈上〉
読み下し  (外題)「申す所其の謂れあり者れば、本の如く領掌せしむべし。
         大宮司宗形(花押)」
上八村住人故工武元の妻津守氏三子解し申し請ふ 宮裁の事
 特に 鴻恩を蒙り、かつうは相伝領掌の理に任せ、かつうは解状の旨に依り、本の如く領掌すべき由裁定せられんことを請ふ、上八村内字柳坪内弐段、字井手副薗早田陸拾歩、同畠地一所、甥故宗三郎大宮司近弘のために、去年春を以て割き取らるる子細の愁状、
右、謹みて案内を検するに、件の田畠は、三子親父故礼介時任の所領なり。而るに彼時任が子息は娘三人なり。其の内大娘においては、時任存生の時死去し畢んぬ。次に中娘は父死去の後、幾程を経ずして死去し又畢んぬ。三子においては、母共に存残の間、他の妨げ無く、相伝の旨に任せ、領作し来るの処、母又死去するの後、他の子無きに依り相別るること無し。併しながら領掌せしむるの間、不慮の外に彼の宗三郎近弘、故中子の息男たるの旨を以て、領掌すべきの由、時時の沙汰を致すと雖も、其の理無きに依り、更に裁許を蒙らざるの処、図らずも去春の比、件の両坪畠地一所別に給ふの条、伊欝多端の間、適、件の近弘去年十一月の比を以て、死去已に畢んぬ者れば、三子の外、誰人か領掌すべけんや。望み請ふらくは 恩裁、道理に任せ、裁断を被らんがため、在状を勒し言上件の如し。以て解す。
  承安五年四月二日   津守三子〈上る〉
大意 津守三子、甥の宗三郎近弘のために割き取られていた上八村内の田畠の安堵を宗像大宮司に請う。宗像大宮司、外題を以てこれを安堵する。
紙質 楮紙
寸法(縦) 29.2cm
寸法(横) 47.6cm
備考
出典 『宗像大社文書』第1巻