宗像関連古文書・史料
文書群名 |
八巻文書第2巻 |
文書番号 |
50 |
文書名 |
鎮西裁許状 |
和暦 |
延慶三年十二月十六日
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西暦 |
1310年 12月 16日 |
本文 |
宗像大宮司氏盛申肥前国晴気保内用永名地頭得分米拾伍石参斗参升柒合事 右、名主源兵衛尉、正応四年以後不従地頭所務、抑留彼得分之由、氏盛就訴申、度々雖尋下、名主無音之間、以多久太郎宗経・小城弥五郎入道妙喜、重加催促之処、如去年三月廿四日宗経等注進状者、雖相触源兵衛尉不及請文云々。〈起請詞略之、〉名主不遁召文違背之咎歟。然則於地頭所務者、守先例、致沙汰、至得分物者、任員数、可令弁償者、依仰下知如件。 延慶三年十二月十六日 前上総介平朝臣(花押) |
読み下し |
宗像大宮司氏盛申す肥前国(小城郡)晴気保内用永名地頭得分米拾伍石参斗参升柒合の事 右、名主源兵衛尉、正応四年以後地頭の所務に従はず、彼の得分を抑留するの由、氏盛訴へ申すに就いて、度々尋ね下すと雖も、名主無音の間、多久太郎宗経・小城弥五郎入道妙喜を以て、重ねて催促を加ふるの処、去年三月廿四日宗経等注進状の如くんば、源兵衛尉に相触ると雖も請文に及ばずと云々。〈起請の詞之を略す、〉名主召文違背の咎を遁れざるか。然れば則ち地頭の所務においては、先例を守り、沙汰を致し、得分物に至りては、員数に任せ、弁償せしむべし者れば、仰せに依つて下知件の如し。 延慶三年十二月十六日 前上総介平朝臣(北条政顕)(花押) |
大意 |
鎮西探題北条政顕、宗像大宮司氏盛の訴えによって、肥前国晴気保内用永名主源兵衛尉の、正応四年(一二九一)以後の地頭得分米抑留を停め、これを究済させる。 |
紙質 |
楮紙 |
寸法(縦) |
33cm |
寸法(横) |
47.5cm |
備考 |
正誤表により、「前上総介平朝臣」の署名の位置を訂正。 |
出典 |
『宗像大社文書』第1巻 |
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