世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 聖護院道増書状/
文書群名 八巻文書第2巻
文書番号 24
文書名 聖護院道増書状
和暦 (永禄七年)八月三日
西暦 1564年 8月 3日
本文 豊芸和平之事。為 上意堅固之仰故、存分互雖在之、被応申、一段入魂之次第候。早々可申来之処、遠境依無案内、自芸州可被申理由申候キ。其御家之事、不混自余子細共候哉。別而京都之儀、於無御疎略者、涯分可馳走心中候。万端向後者、可申承候。仍為祝義、太刀一腰進之候。猶矢嶋治部少輔可申候也。謹言。
  八月三日   (花押)
   宗像大宮司殿
読み下し 豊芸和平の事。 上意堅固の仰せたる故、存分互ひにこれ在りと雖も、応じ申され、一段入魂の次第に候。早々申し来るべきの処、遠境無案内に依り、芸州より理を申さるべき由申し候キ。其の御家の事、自余に混ぜざる子細共候か。別して京都の儀、御疎略無きにおいては、涯分馳走すべき心中に候。万端向後は、申し承はるべく候。仍つて祝儀として、太刀一腰これを進らせ候。猶矢嶋治部少輔申すべく候なり。謹言。
  (永禄七年)八月三日   (花押)(聖護院道増)
    宗像大宮司(氏貞)殿
大意 足利将軍義輝の特使聖護院道増、宗像大宮司氏貞に書を送って大友・毛利両氏和平のことを報じ、祝儀として太刀一腰を贈る。
紙質 斐紙
寸法(縦) 16cm
寸法(横) 44.4cm
備考
出典 『宗像大社文書』第1巻