世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 大宮院〈藤原姞子〉庁下文/
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文書群名 八巻文書第1巻
文書番号 10
文書名 大宮院〈藤原姞子〉庁下文
和暦 建長八年正月 日
西暦 1256年 1月
本文 大宮院庁下  筑前国宗像社司等
 可且任代代庁下文、且依親父氏業申請、令宗像長氏子子孫孫相伝領掌当社大宮司職事
右、去年十二月十三日彼氏業解状偁、当社大宮司者、重代相伝領、執行社務職也。子細具于院庁御下文并将軍家代代御下知状等。所謂曾祖父氏信、久安二年賜鳥羽院庁御下文、祖父氏実永暦元年賜美福門院庁御下文、次第相承、無依違之処、平家入道太政大臣家時、越中前司盛俊、以権威押領当社之後、源平合戦出来之間、氏実為源家御方、抽忠勤畢。因玆鎌倉右大将家御判状偁、宗像社事、故盛俊知行也。可令没官之条、勿論、雖須令下地頭、止其儀畢。氏実重代人候。如本可令安堵云云。加之、停止守護所使入部、而給検断職。於当社領者、云地頭、云検断、被付大宮司之条、関東御下知明白也。且一事以上可執行社務之由、八条院庁御下文炳焉也。氏実譲子息氏国、氏国給同庁御下文并鎌倉右大臣家及二位家御下知状、令領知之処、三浦若狭前司泰村補任預所職、濫妨社家領。非拠之至、只在斯事。氏業為氏国甥之上、即成猶子之間、捧相伝証文等、訴申事由之日、氏業与泰村雖遂対決、不達愁訴之処、泰村依謀叛事、被追討之刻、氏業向戦場畢。仍言上子細之時、任証文之道理、給関東御教書、預富小路太政大臣家御裁許之間、申充親父氏経、氏経死去之後、所譲与子息長氏也。然則以長氏為件職、任旧例、一事以上執行社務、子孫相伝無相違可令領掌之旨、下賜庁御下文、将備後代之亀鏡矣者、件職、且任代代庁下文、且依氏業申請、長氏可令子子孫孫相伝領掌之状、所仰如件。社司等宜承知、不可違失。故下。
  建長八年正月 日   主典代修理権亮安部朝臣(花押)
別当大納言藤原朝臣(花押)   判官代備前守藤原朝臣(花押)
 前中納言藤原朝臣(花押)   勘解由次官藤原朝臣(花押)
 権中納言藤原朝臣(花押)   防鴨河使左衛門権佐平朝臣(花押)
 権中納言兼左衛門督源朝臣(花押)   宮内大輔藤原朝臣(花押)
 左兵衛督藤原朝臣(花押)   兵部権少輔藤原朝臣(花押)
 参議平朝臣(花押)
 造東大寺長官左大弁藤原朝臣(花押)
 右大弁藤原朝臣(花押)
 右中弁藤原朝臣(花押)
 権右中弁藤原朝臣(花押)
読み下し 大宮院庁下す  筑前国宗像社司等
 かつうは代代の庁の下文に任せ、かつうは親父氏業の申請に依り、宗像長氏子子孫孫をして相傅領掌せしむべき当社大宮司職の事
右、去年十二月十三日彼の氏業の解状に偁く、当社大宮司は、重代相伝の領、社務職を執行するなり。子細院庁御下文并びに将軍家代代の御下知状等に具なり。所謂曾祖父氏信、久安二年鳥羽院庁御下文を賜はり、祖父氏実永暦元年美福門院(藤原得子)庁の御下文を賜はり、次第相承、依違無きの処、平家入道太政大臣(平清盛)家の時、越中前司(平)盛俊、権威を以て当社を押領するの後、源平合戦出来の間、氏実源家の御方として、忠勤を抽んじ畢んぬ。茲に因り鎌倉右大将(源頼朝)家御判の状に偁く、宗像社の事、故盛俊知行なり。没官せしむべきの条、勿論、須らく地頭に下さしむべきと雖も、其の儀を止め畢んぬ。氏実は重代の人に候。本の如く安堵せしむべしと云云。しかのみならず、守護所使の入部を停止し、検断職を給ふ。当社領においては、地頭と云ひ、検断と云ひ、大宮司に付けらるるの条、関東の御下知明白なり。かつがつ一事以上社務を執行すべきの由、八条院〈暲子内親王〉庁の御下文炳焉なり。氏実子息氏国に譲り、氏国同庁の御下文并びに鎌倉右大臣(源実朝)家及び二位(北条政子)家の御下知状を給はり、領知せしむるの処、三浦若狭前司泰村預所職に補任され、社家領を濫妨す。非拠の至り、只斯の事に在り。氏業氏国の甥為るの上、即ち猶子と成るの間、相伝の証文等を捧げ、事の由を訴へ申すの日、氏業と泰村と対決を遂ぐと雖も、愁訴を達せざるの処、泰村謀叛の事に依り、追討せらるるの刻、氏業戦場に向ひ畢んぬ。仍つて子細を言上するの時、証文の道理に任せ、関東の御教書を給はり、富小路太政大臣(西園寺実氏)家の御裁許に預るの間、親父氏経に申し充つ。氏経死去の後、子息長氏に譲与する所なり。然れば則ち長氏を以て件の職と為し、旧例に任せ、一事以上社務を執行し、子孫相伝相違無く領掌せしむべきの旨、庁の御下文を下し賜はり、将に後代の亀鏡に備へんとす者れば、件の職、かつうは代代の庁の下文に任せ、かつうは氏業の申請に依り、長氏子子孫孫相伝領掌せしむべきの状、仰する所件の如し。社司等宜しく承知し、違失すべからず。故に下す。
  建長八年正月 日   主典代修理権亮安部朝臣(資俊)(花押)
別当大納言藤原朝臣(四条隆親)(花押)   判官代備前守藤原朝臣(忠方)(花押)
 前中納言藤原朝臣(為経)(花押)   勘解由次官藤原朝臣(経藤)(花押)
 権中納言藤原朝臣(顕朝)(花押)   防鴨河使左衛門権佐平朝臣(親継)(花押)
 権中納言兼左衛門督源朝臣(基具)(花押)   宮内大輔藤原朝臣(日野資宣)(花押)
 左兵衛督藤原朝臣(四条房名)(花押)   兵部権少輔藤原朝臣(宗経)(花押)
 参議平朝臣(時継)(花押)
 造東大寺長官左大弁藤原朝臣(経俊)(花押)
 右大弁藤原朝臣(高定)(花押)
 右中弁藤原朝臣(光国)(花押)
 権右中辦藤原朝臣(日野資定)(花押)
大意 宗像氏業、子息長氏以下子孫に大宮司職を相伝領掌されるよう大宮院に願い出て許される。なお、三月七日、六波羅探題はこれを施行している。
紙質 楮紙
寸法(縦) 34.5cm
寸法(横) 159.1cm
備考
出典 『宗像大社文書』第1巻