世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群デジタルアーカイブス

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宗像関連古文書・史料

  • 官宣旨/
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文書群名 八巻文書第1巻
文書番号 9
文書名 官宣旨
和暦 寛喜三年四月五日
西暦 1231年 4月 5日
本文 左弁官〈下 大宰府〉
 応且任国司庁宣、且依往阿弥陀仏勧進状、充用管筑前国宗像社修理用途同国曲村田地肆拾町事
右、得彼社神官等去月日解状偁、当社者天照太神降来之霊地、日域無双之仁祠也。仍被寄付料田、勤行式日之神事。但於大少七十余社之修理用途者、往昔以来、以葦屋津・新宮浜漂涛之寄物致沙汰、送数百歲之星霜。而今往阿弥陀仏哀彼漂涛之難、築孤嶋、助往還之船、休風波之煩。因茲修理用途已以無足之由、以関東状、経上奏之処、早以曲村田地、可充修理用途之由、召給国司庁宣畢。望請鴻恩、以曲村田地、為社領、可致御修理沙汰之旨、賜官符、欲備後代之亀鏡者、権中納言藤原朝臣頼資宣。奉 勅、依請者、府宜承知、依宣行之。
  寛喜三年四月五日   大史小槻宿祢(花押)
少弁藤原朝臣(花押)
読み下し 左弁官〈下す 大宰府〉
 応にかつうは国司庁宣に任せ、かつうは往阿弥陀仏の勧進の状に依り、充て用ふべき管筑前国宗像社修理用途同国(宗像郡)曲村の田地肆拾町の事
右、彼の社神官等去月日解状を得るに偁く、当社は天照太神降来の霊地、日域無双の仁祠なり。仍つて料田を寄付せられ、式日の神事を勤行す。但し大少七十余社の修理用途においては、往昔以来、葦屋津・新宮浜漂涛の寄物を以て沙汰を致し、数百歲の星霜を送る。而るに今往阿弥陀仏彼の漂涛の難を哀れみ、孤嶋を築き、往還の船を助け、風波の煩ひを休む。玆に因り修理用途已に以て無足の由、関東の状を以て、上奏を経るの処、早く曲村の田地を以て、修理用途に充つべきの由、国司庁宣を召し給はり畢んぬ。望み請ふらくは鴻恩、曲村の田地を以て、社領となし、御修理の沙汰を致すべきの旨、官符を賜はり、後代の亀鏡に備へんと欲す者れば、権中納言藤原朝臣頼資宣す。 勅を奉はるに、請ひに依れ者れば、府宜しく承知し、宣に依つてこれを行へ。
  寛喜三年四月五日   大史小槻宿祢(末継)(花押)
少弁藤原朝臣(光俊)(花押)
大意 これより以前、往阿弥陀仏の勧進によって筑前国宗像郡鐘御崎に築島し、海上風破の難を救う。当社は数百年来、難破船の寄物を以て大小七十余社の修理料に充ててきたが、この日、官宣旨により、宗像郡曲村四十町の地を当社修理料に充てることとされた。
紙質 楮紙
寸法(縦) 32.2cm
寸法(横) 83cm
備考 紙継ぎ目の裏に花押あり。正誤表により、「大小」を「大少」に訂正。
出典 『宗像大社文書』第1巻